新聞黎明三十六才腸

ふくちおうち(福地桜痴)●1841-1906●江湖新聞、東京日日新聞の社説などで健筆を奮う。歌舞伎座の作者としても活動。
▼かねだま(金霊)――「福」の文字からおめでたく。お金の降り込む黄金の精霊。
きしだぎんこう(岸田吟香)●1833-1905●もしほ草、東京日日新聞などの雑報で人気を呼ぶ。ヘボンの『和英語林集成』の補佐でも有名。
▼たまごのばけもの(卵の化物)――たまごかけごはんを献立に。した暁光の人にちなみて。
のむらふみお(野村文夫)●1836-1981●団団珍聞を創刊し滑稽雑誌の流行をつくる。英文に巧みで誌面に対訳も掲載もした。
▼おに(鬼)――『団団珍聞』の姉妹誌なる。『驥尾団子』(そびだんご)からの思いつき。
なるしまりゅうほく(成島柳北)●1837-1884●朝野新聞の論説や、花月新誌での狂詩で才気を散らす。
▼やなぎおんな(柳女)――柳橋で浮名を流した殿様に。添えるはヤハリやなぎなり。
すえひろてっちょう(末広鉄腸)●1849-1896●朝野新聞や溺濘叢談で論説を拡げる。『雪中梅』など政治小説でも有名。
▼だっちょ(妲腸)――鉄腸はつよきもの。妲腸はきゅあんなるもの。
くりもとじょうん(栗本鋤雲)●1822-1897●郵便報知新聞の主筆として活躍。もと幕府の外国奉行。
▼いがぼう(いが坊)――栗の衣はとげとげな。いがの衣であるじゃげな。
はっとりぶしょう(服部撫松)●1841-1908●東京新誌、吾妻新誌などの和漢文で人気を呼んだ漢学者。
▼ねんこう(鯰公)――官員をナマズとドジョウに比したるは。この大人とうわさにききて。
せきしゃぼん(関槎盆)●1854-1907●風雅新誌、東京日日新聞などに狂詩を執筆。手術前日看護婦さん達と目隠し鬼で遊んでた程の粋人。
▼せんたくぎつね(洗濯狐)――本名が関謙之(せきけんし)なるゆえに。シャボンと来たら洗濯板。
ふそうかん(総生寛)●1841-1893●団団珍聞を中心に戯文漢文を数多く製作。『西洋道中膝栗毛』の嗣作者として有名。
▼ばけとうひゃく(化け天保銭)――総生古道人以前書中に。天保銭人と署名せしゆえ。
まえだこうせつ(前田香雪)●1841-1916●東京絵入新聞などで雑報や小説を担当。本邦初の連載物の潤色者。
▼こがのかい(古画の怪異)――古美術鑑定の定評高き。このひとならば化けがいもあり。
たじまにんてん(田島任天)●1853?-1909●団団珍聞、妙妙雑俎で戯文を数多く執筆。仲間うちでのあだ名は田象寺の和尚。
▼ばけじぞう(化地蔵)――そちらが和尚でこちらが地蔵。つるつるあたまとテクスチャあたま。
おかじょうき(岡丈紀)●?-1890●いろは新聞などで雑報や戯文を執筆。鉄道寮に勤務しており英学が(多少)出来た珍しい戯作者。
▼かしゃ(火車)――蒸気には火がいるさね。でも漢語では陸蒸気(こちら)と同意。
かながきろぶん(仮名垣魯文)●1829-1894●仮名読新聞、いろは新聞、魯文珍報など数多くの雑報戯文に麗筆をふるう。
▼ねこまた(猫股)――天下の東京の花街で。センセで通るはこの翁。
ためながしゅんすい(為永春水II)●1818-1886●東京絵入新聞で雑報や連載小説に艶筆をふるう。本名は染崎延房。春水の門人。
▼いわふじのちょう(岩藤の妖蝶)――北雪美談時代加賀見は。このひとの最長編作なり。
ばいていきんが(梅亭金鵞)●1823-1893●寄笑新聞や団団珍聞で戯文に数多く飄筆をふるう。柳剛流の剣客ですが大の茶番好き。
▼ばけたぬき(化け狸)――ひとを茶にするお芝居が。おすきなところは似たもので。
みなみしんじ(南新二)●1835-1895●東京絵入新聞、やまと新聞などで戯文に快筆をふるう。大の落語通。
▼にんぎょ(人魚)――おっとうっかり刺身で食べて。コレラになったら大変だ。
りゅうていたねひこ(柳亭種彦III)●1838-1885●読売新聞、東京絵入新聞、芳譚雑誌で雑報や小説にを鋭筆をふるう。本名は高畠藍泉。
▼かっぱ(河童)――この師匠はジンジャーエールをつくるのが。好きだったときく昔話カンパーイ。
じょうのさいぎく(条野採菊)●1832-1902●東京日日新聞で雑報、のちにやまと新聞を創刊して小説などに繊筆をふるう。
▼やまわろ(山童)――むかしの戯号は山々亭有人。山また山でさんざんてい。
さんゆうていえんちょう(三遊亭圓朝)●1839-1900●やまと新聞で噺を速記したものの連載をして大いに人気を呼ぶ。
▼ばけび(化け火)――客席に火だのなんだのを出して派手に騒がせたのは。若い時分でございますテ。
りゅうていせんか(笠亭仙果II)●?-1884●月とスッポンチなどの滑稽雑誌を創刊。雑俳や都々逸などで人気をさらう。
▼ばけすっぽん(化泥鼈)――相方はうさぎさんです。月とすっぽんち。
りゅうすいていたねきよ(柳水亭種清)●1822-1908●多くの合巻の嗣作や雑誌などへの狂詩の連載で人気を集める。
▼じょろうぐも(絡新婦)――白縫譚はけっきょく。大尾まで書けなかったなァ。
うめぼりこくが(梅暮里谷峨II)●1826-1886●俳諧新聞誌、俳諧大熊手を創刊。戯文や狂歌を発表。別の顔は歌沢能六斎。
▼よぶこ(呼子)――こっちは歌沢だよ。あんたは山彦で河東節じゃねぇのかい。
まんていおうが(万亭応賀)●1818-1890●雑誌や単行本で多くの戯文や世間の諷刺小説を発表。『釈迦八相倭文庫』の作者としても高名。
▼おちゃひき(お茶蟇)――わしがむかし書いたじたヤツじゃないか。こやつちゃんと見てるナ。
だんしゅうろうえんし(談洲楼燕枝)●1837-1900●新聞で読者からもらった題で噺を作る三題噺を連載し人気を誇る。
▼みこしにゅうどう(見越入道)――団十郎ずきの師匠には。団十郎ふうでホホこしらえて申す。
のざきさぶん(野崎左文)●1858-1935●いろは新聞、絵入朝野新聞などで雑報や戯文を製作。魯文の門人。
▼へいけがに(平家蟹)――魯門では蟹垣を名乗っておられたゆえに。新聞がみの下にも都はございます。
さいとうりょくう(斎藤緑雨)●1868-1904●東京絵入新聞などで正直正太夫の名で諷刺戯文を多く執筆。魯文の門人。
▼べかたろう(べか太郎)――文明と世間に対してべっかっこう。しつづけた師匠は孤高の智人。
くぼたひこさく(久保田彦作)●1846-1898●仮名読新聞、いろは新聞などで雑報などを担当。もとは狂言作者。
▼おばけちょうちん(お化け提灯)――芝居小屋にはちょうちんがつきもの。内装外装舞台上。
やまだふうがい(山田風外)●1853-1923●狂歌狂詩を寄稿したり、風雅新誌、絵入朝野新聞などを創刊したり。
▼かまいたち(鎌鼬)――このおかたは風の外。風の中に棲むのはこちら。
こっぴどうじん(骨皮道人)●1861-1913●やまと新聞や単行本などで戯文を数多く生産。小林清親の『百戦百笑』の戯文で有名。
▼がいこつ(骸骨)――あえて寝ぶとりを。描くという手もあった。
うたがわぶんかい(宇田川文海)●1848-1930●神戸新聞、大阪新聞、大阪朝日新聞などで小説を連載。関西の大将。
▼うみぼうず(海坊主)――関西の新聞での活躍ぶりの。大きさを示して海坊主。
おちあいよしいく(落合芳幾)●1833-1904●東京絵入新聞を創刊。新聞雑誌イラストレーターの鼻祖。
▼かさこぞう(笠小僧)――編笠茶屋がご実家だったゆえに。ピョンピョコと跳ねさせました。
こばやしえいたく(小林永濯)●1843-1890●絵入朝野新聞、有喜世新聞などの新聞雑誌に絵を描く。
▼たこにゅうどう(蛸入道)――ご家業がお魚屋さんだったので。鮮斎とはすてきな斎号。
かわなべきょうさい(河鍋暁斎)●1831-1889●魯文珍報、仮名読新聞などをはじめ多数の新聞雑誌にも絵を提供。
▼からすてんぐ(鴉天狗)――その筆勢墨跡は。万国飛なり。
やまざきとしのぶ(山崎年信)●1857-1886●いろは新聞などで絵を制作。芳年門中で技量は長けていたが夭折。
▼ひとつめこぞう(一ッ目小僧)――芳年社中の一番手と。謂ったを込めて目がひとつ。
あらいよしむね(新井芳宗II)●1863-1941●絵入自由新聞などで小説や雑報記事の絵を執筆。芳宗の息子。
▼ふすま(衾)――小さい頃から父親の。かわりにビラ描きしてたとさ。
つきおかよしとし(月岡芳年)●1839-1892●絵入自由新聞、やまと新聞などで多彩な絵を揮毫。
▼ばけきつね(化け狐)――何度浮き名をながしたの。よねさんハッキリおっしゃいナ。
2010.05.17 | | コメント(2) | トラックバック(0) | 新聞